ふとした言葉はあなたへのメッセージです。 そのまま受け取ってください。

日々生まれ変わる

人の細胞は何日か、何か月か周期で生まれ変わるらしい。

 

「脳」は精密なコンピュータだから、細胞が生まれ変わって新しい自分になっているのに、以前のままの情報で動かそうとする。

 

その「しくみ」に気づくと、物事への「反応」を変えることができる。

 

物事への「反応」は、「脳」への刷り込み、「先入観」「固定概念」でそのほとんどがなされている。

 

それが「自分」だと信じている。

いくつもの「固定概念」、「信念」、「先入観」、「刷り込み」・・固く固く凝り固まったそれらは、本当の「あなた」ではない。

 

それは「脳」が過去の情報をもとに作ったあなたの幻影だ。

 

本当の「あなた」は、もっと流動的で柔らかく、常に生まれ変わっている。

「過去」を忘れるのはあたりまえだ。

「未来」がわからないのも当たり前だ。

 

私たちは「いま」しか生きていない。

そして、それは「いま」をただ「生きる」だけでいいということ。

 

「脳」は従うものではなく、「役立てるものであり、使うもの」

 

「過去」や「未来」は人間の脳が作った「幻想」なのだ。

「幻想」に脅かされないように、「いま」を生きよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

頭を使うとき ハートに従うとき

「取扱説明書」を読むときは頭を使う。

「数学の問題」を解くときも頭を使う。

「地図を見るとき」も頭を使う。

 

「人の話を聞くとき」は、ハートに従う。

「自然と向き合うとき」は、両方だけどハートを多めに。

 

意識しているわけではないけれど、大事なことのような気がする。

 

これを間違えたり、逆を使ったりするとトラブルになったり、たいそう疲れる。

 

 

脳はものすごい精密なコンピューターだ。

だけれど、その上を行くのがハートからの指示だ。

 

大きさが全然違うのだ。

「ハート」に繋がっているのは、「宇宙の叡智」だ。

 

「脳」の機能はもちろん素晴らしい。

でも、「頭」で理解できないことを「ハート」は答えを持っている。

 

人間は「根拠」を大事にするから、なかなか「根拠」のないものを信用できない。

何度も何度も疑いながら観察した。

 

結果、人生の岐路に関することはすべて「ハート」に従った。

理路整然と損得を計算し、過去からの経験や情報を吟味した「脳」からの指示はもっともで納得に値するけれど、なぜか全く経験のない根拠もない方へと惹かれるハートに従うのは、勇気のいることだった。

 

でもそれこそが「新しい」道を開拓する、また本当に望んでいることだったのだ・・と気づくのだ。

 

先が不確定・・・なことは怖いし不安だ。

でもだからこそ、おもしろい。

そして、何より潜在している能力が日の目を見る。

 

どのひとにもたくさんの「潜在能力」がある。

「能力」に限界を設けているのは「自分」だと気づくことだ。

 

本当はどんなことでも対処できる能力を人は誰でも携えている。

 

なぜなら、その情報の「ソース」は「宇宙の叡智」だからだ。

後はそれを受信できるように、「ハート」に耳を澄ますことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「知性とは」

「知性」とは、自分には知らないこと、分からないことがまだまだたくさんあると

「知っていること」だ。

 

どんなに学んでも努力してもすべてを「知る」ことはないと、この宇宙の膨大な記憶の壮大さをどこかで「知っている」ことだ。

 

だからこそ「おもしろい」のだ。

 

何気なく読んだ本の中に引き込まれ、いつのまにか深く深く探求するたびに新しい世界が広がる。

 

人生は旅だ・・とよく言われるが本当にそうだろう。

 

いくつもいくつもの人生を経て得られる「知性」や「経験」だ。

 

古い魂(マスターたち)が語る「物語」は「知性」の宝庫で「愛」にあふれている。

 

それらに触れられることに深く感謝したい。

 

 

 

 

ひとの気持に寄り添う・・ということ。

「人の気持ちに寄り添う」

よく聞く言葉だ。

 

でもこれは言うは易し行うは難し・・だ。

 

なぜなら、なぜその人がその行動・・たとえば明らかにルール違反だったり、表面的には一方的に悪いと言われる行動をとったのかを、深く深く掘り下げて理解してはじめてできることだから。

 

そこまで理解すると相手へかける言葉もおのずと「寄り添う」ものに変化する。

 

とった行動を「許す」とか「正当化」することでなく、なぜその行動をとらざるを得なかったのかを、誰かに深く理解してもらえてはじめて「自分」と向き合えるのかもしれない。

 

どんなことも最終的には「自分と向き合う」ことによってしか答えはでない。

 

だから「人の気持ちに寄り添う」本当の意味は、その人が素直に自分と向き合えるように、いつまでも誰かのせいや環境のせいや、原因を外に求めないで内観できるように助けるということだと思う。

 

そしてこれにも成長段階があって、まだまだ外に目が向いている人は自分と向き合う

準備ができていないのでそっと見守るという寄り添い方もある。

 

いずれも自分も経てきた道なのだ。

どんな場合も温かく包み込むように見守り、また励ましたい。

 

そのときは気がついていなかったけれど、自分もそのようにされてきたのだから。

 

 

「自分に正直に」のさきにあるもの。

仕事の中で、別に言わなくてもいいのだけれど・・・。

でも自分の中で改善の余地を感じたり、疑問に思っていることを表現していく。

 

それは自分へのチャレンジ。

小さな勇気が必要なこと。

 

変化を起こすきっかけを創ることになるし、また反対意見にも出会う。

 

でも、「自分に正直」でいつづけることを選ぶ。

 

正しいか間違っているかは見る視点によって変化する。

 

であれば、「いま」自分が感じていることをそのまま認め、せめて自分だけは応援しよう。

 

「結果」は望むものになったり、ならなかったりするけれど、そこにこだわりはない。

 

何よりも大事にすることは「自分に正直に」と「自分に忠実に」だ。

そしてそれによって得られるのは、爽やかな自分への満足でなによりのご褒美だ。

 

 

 

 

 

心の風景を美しく・・。

心の風景と同じ「ことば」は、ダイレクトに相手に伝わる。

それが美しくても 優しくても 残酷でも・・。

 

「ことば」と心の風景にずれがあると、混乱を招く。

 

相手は違和感を感じ、自分はどんよりする。

 

ひとの心の風景は目に見えないけれど、私たちはつながっているので

「感じる」のだ。

 

「ことば」でうまく伝えられなくても、「心の風景」は常に美しくありたい。

 

それが最終的に周りの人への「貢献」となるのだから。

 

 

 

 

「天国」へのなぞなぞ

「本当の宝物は自分の中にある」

 

・・・それを宝物だとわかるならば・・。

 

そしてそれは誰にも奪われないし、無くなったりしないし、永遠に失われないもの。

そしてそれは膨大な知識と、パワーを持ち、なんにでも姿を変えられる。

 

 

 

なぞなぞのようだが、答えはとても簡単。

これが無ければ、世界は存在しない。

 

それは空を創り、海を創り、陸を創り、植物を創り、生き物と言われるものを創り、ありとあらゆるものを創造する。

 

だから創造されたものは、すべて同じ源だ。

だからすべて繋がっている。

 

このなぞなぞが解けたひとが多くなればなるほど、世界は「天国」と言われるものに近づいていくのだろう。