ふとした言葉はあなたへのメッセージです。 そのまま受け取ってください。

自らすべてを由とする

私にとっての「自由」は、

「自らすべてを由とする」・・ということ。

 

誰にどう思われようが

誰が何と言おうが

どんなに悲惨で残酷に見える出来事であっても・・

 

自らすべてを由しとする生き方が「自由に生きる」ということ。

 

正しさや常識を超えたところにある「深さ」をこよなく愛する。

 

その「深さ」を持つまなざしでこの世を見ると、「愛しさ」と「畏怖の念」と

物事の織り成すち密な完璧さに驚嘆し、言葉を失うほどだ。

 

何層にも何層にも重なりあって現れる現象。

「ものごとに偶然はない」

 

「そうだろう」・・としか思えない。

 

物事の深さに触れるたびに「愛」が深くなるような気がする。

 

 

 

 

 

もし食べなくていいのなら、なにをするだろうか?

「もし食べなくても生命が維持できるなら、何をするだろうか?」

 

私たちはこの体を維持するために「経済活動」を日々している。

 

「現実」という制限の中で、本来はもっとも大切なものが隠されてしまった。

 

だから、時々自分に問う。

 

「もし食べなくていいのなら、何をするだろうか?」

そして、それを日々自分の生活のなかの行動として現しているだろうか?

 

 

 

「もし食べなくてもいいのなら、何をするだろうか?」

 

 

この問いには大きな生きるヒントがある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分に効く、聞くこと。

もう何年も前から本を読み、気になっていたフラワーレメディを息子のためにと思い、試してみた。

 

結果、効いたのは「自分」・・だった。

なるほど・・と腑に落ちた。

 

レメディを必要としていたのは、「自分」だったのだ。

 

そしてここでも再確認。

自分に必要なものは、常に自分が知っている。

自分に効くものは自分に聞いてみることだ。

 

もう自己選択の時代に入っている。

 

いつまでも息子のためや主人のために・・なんてよそ見しないで、自分のために効くものを選択する。

 

そうしているうちに、きっと家族も自分に効くものをそれぞれ見つけるだろう。

 

「家族」の事を分かっている・・という「傲慢さ」を手放そう。

 

それぞれがちゃんと気づいていくことで成長するし、またそうでしか本当の成長にはならないのだから。

 

 

根拠のない自信

「根拠のない自信」ほど確かな自信はない。

何だかわからないけれど、「大丈夫」だとはっきりとわかる。

何だか分からないけれど、できる気がする。

 

小さい子供はこの自信を皆持っている。

だから、ものすごい壮大なかつ面白いことを言う。

 

でも、本来私たちはみなそういうことができるところから、この地球へ来ている。

 

「根拠のない自信」は、そういうおおもとに繋がっている自分を覚えているか、またははっきりと知っているからあるのだ。

 

それを、周囲の多数のことばにかき消されるか、大切に育てるかは自分で決めている。

 

「魔法」と言われるものは、本来皆使えるのだ。

 

 

どうでもいいことの先に見える景色

流れる思考・・。

自分の思考を観察していると、人間って本当にどれだけ「思考」しているのか・・・

と驚愕する。

 

それもほぼどうでもいいこと(笑)を・・。

 

それで、もう人生50年も生きてきたのだから、「もういいな」と思った。

「思考」は生きている限り流れてくる。

でも、いちいちそれに付き合うのはもうやめる。

 

流れるままほっておく。

止めることも、抵抗することも、迎合することも、深追いすることもなく。

 

「どうなるのか?」・・・と言うのも「思考」なので、答えは分からない(笑)

 

目的地を決めない「旅」の始まりだ。

 

その時その時の感覚で「すること」が決まるのだろう。

 

ちょうど「いま」の感覚は、「すべての事はほとんどどうでもいいこと。」(笑)

と言う感じ。

 

「どうでもいいこと」の波を後ろに、どんどん泳いでその先に見える景色を楽しみに

2018年を過ごそう。

 

 

 

 

 

繋がっている場所

年末ですね。

取り巻く状況は(現在)、いいものではありませんが・・そこに左右されない部分があって、そこは最高に平和で平安です。

 

今年一番の気づきはその場所を発見できたことです。

 

実は、すべての人がその場所とつながっているのです。

でも、あまりにも外側の現実(幻想)が忙しくて、騒がしいのですっかり忘れ去られています。

 

スクリーンに映る映像に夢中で、スクリーンであることを忘れてしまう・・・感じ。

 

 

そうすべて映像のように映し出されては次の瞬間消えてゆく・・。

ひとの人生も同じなのだと感じます。

 

映し出されるものを享受しよう・・。

ただあまりシリアスにならずに。

 

素晴らしいものもそうでないものも、同じように受け入れよう。

実はそう違いはないともう知っているから。

 

2018年のスクリーンには何が流れるのか全く分からないし、特に目標も期待もないけれど、ただどんなものが流れても大丈夫だということだけは、繋がっている場所が教えてくれている。

 

 

 

 

 

沈黙の中で動くもの・・。

ひととの会話の中で、「沈黙」が流れるときがある。

 

今までは、次に話すことや相手の思いなどをくみ取ることに、意識が向かっていた。

 

その意識を、自分の奥深くに向けて

「何を感じているのか?」

ということを観察してみると・・

「不安」や「恐れ」、「否定」「批判」「ジャッジ」・・などなど。

 

それらは一般的には、「ネガティブ」と言われる感情たち。

 

「なるほど・・」と腑に落ちたのは、それらも当然自分の大事な一部であり、決して

「排除」したり無視していい感情じゃない・・ということ。

ちゃんと光を当てて、明るいところに出してあげること。

(自分の中でその存在を認める・・ということ。)

 

そして、その「不安」や「恐れ」に向き合うこと。

自分が何を不安に思い、何を恐れているのかをよく観察することだ。

たいていはそれだけで、それらは姿を消す。

なぜなら、それらも「感情」だから。

「喜び」や「幸福感」がいつまでも留まらないのと同じく、それらも感じきると流れていく。

 

無視したり、感じなかったりすると溜まってしまって心の澱になる。

「いい感情」も「悪い感情」も実はない。

あるのは、「感情」だけ。

 

すべては流れている。

沈黙の中でもエネルギーは、ものすごく活発に動いている。