「なんでもいい」
「物語」が終わった後でも もちろん人生は続く。
「いのち」と言う生命エネルギーは 肉体を持たなくなってもなくなったりしない。
「物語」を生きているときは、「目的」や「成功」や「失敗」、「達成」など分かりやすい情熱を持っていた。
でも 「物語」は幻想で ファンタジーの世界からするっと抜けたら、すべてはただ生命エネルギーの表現で、すべてはただ流れるように起きている・・それだけ。
・・・ということにただただ今は 呆然としている・・と言う感じ。
完全な「脱力」だ。(笑)
正確には「脱力」しているのは、「自我」(エゴ)なのだ。
「やることがない」し、「目標」がないし、「未来」や「過去」を見ているエゴは
「いま」をどうしていいのかわからない。
でも、ファンタジーから抜けたら、「いま」しかない。
「いま」が永遠に続く。
何もしなくても ものごとは起こり過ぎ去っていく。
すべて 「生命エネルギーの表現」ということが すんなりわかると、「個人」に
こだわらなくなるし、またあらゆることを容易に受け入れて 変化を見守る・・という感じになる。
たった一つ確かなことは、すべてが流動的で 止まっているものなんて何一つない・・ということ。
目に見えて変化がないものでも、常に微妙に変化している。
その先に 天国や地獄があるわけでも、パラダイスがあるわけでも、ゴールがあるわけでもない。
すべて ただ起きては消滅していく。
ずっと、何かに「意味」を求めてきた。
でも 「意味」なんてない・・と分かった。
すべてに「意味」なんてない・・と知った後、愕然としたけれど、同時にものすごい
「自由」も感じた。
「なんでもいい」し
「なんでもあり」は、ここに通じるのだ。