自分のセンサー
人生も五十を過ぎると、様々なことがわかってくる。
今までいろんな人の考えを聞き、本を読み、生きている人、いないひと、体を持たない存在から学んだ。
まだまだ学ぶことは継続中だが、一つの道筋ははっきりした。
何事も自分のセンサーを信じる・・というか、感じていることを聞き入れる・・・だ。
「エゴ」とはどういうものか?も理解できた。
「エゴ」は恐れや不安が根っこにある。
だから、自分のセンサーが感じて「それおもしろそう!」と言っても、あれこれ不安や恐れからできない理由をつらつら考える。
「エゴ」が強い時は、まったく行動できなくて停滞していた。
停滞するから変化もなく、変化もないからつまらない・・のループになる。
「エゴ」は、たぶん生存本能なのだろう・・と思う。
危険を察知してなるべく安全地帯に体をキープしておきたいのだ。
けれど、行き過ぎると「何もしない人生」になる。
魂は様々な経験を創造したくてこの世に来ているから、わくわくしなくなる。
もう十分つまらなさは経験したので(笑)、自分のセンサーに従って魂が向かう方向へ舵を取る時期が来た・・。
今はまだ駆け出しだけれど、物事の動く速さが違う。
「エゴ」にはちょっと遠慮して小さくなってもらっているので、なんでもサクサクと進む。
「スムーズ」ってこういうことね・・!
「なんだ、全然大変じゃない。」
「これもできたし、あれもできた!」
気がつけば、日々の生活で気の重くなることが無くなっている。
「軽く」生きている。
そこがゴールでなく、「軽く」なって自分の思うまま生きることを楽しむことだ。
「エゴ」は決して悪者ではない。
「肉体」を持つ限りは安全に生きるためのセンサーだ。
でも、「エゴ」にハンドルを握らせてはならない。
ハンドルを握って方向を決めるのは魂である自分自身だ。
それでこそ深く満足するのだ。
いつでも選択をするときは、「エゴ」からか「魂」からか気づく賢さを持っていたい。