ふとした言葉はあなたへのメッセージです。 そのまま受け取ってください。

「病気」は敵ではない。

「病気と闘う」、「病に勝つ」、「闘病」・・・と言う表現を聞くたびに違和感を感じる。

 

「病気」は敵ではないし、「悪」でもない。

痛かったり、苦しかったりするし、快適な状態とは程遠いのは確かだけれど・・。

 

でも人生の中の貴重な「経験」のひとつだ。

 

そこには「死生観」も関わってくるだろう。

肉体は精神とつながり、精神は魂とつながっている。結局見える部分、見えない部分全部繋がりあっている。

 

「病気」を肉体だけの問題ととらえるのではなく、そういう全体性のなかで見ることがもうそろそろ常識になってもいい。

 

それは「生きる」ことって何?と言う疑問にたどり着くかもしれない。

 

「病気」をそれも一つの「経験」として皆が捉え始めることによって、忌み嫌ったりすることも同情も闘いも減り、ただその人が十分に「経験」できるように見守り、必要な励ましやサポートを過不足なくいい塩梅でできるようになるのではないか・・と感じる。

 

自分が大きな病気を得たときに、どう感じるのかは分からない。

様々な感情が怒涛のように押し寄せてくるだろう。

でもきっと最後にそこから得る「経験」は豊かだろう・・というのは分かる。

 

だからその「経験」を求めてみな「病気」というものを得るのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宇宙が見ているもの

頭で出した答えと、ハートで出る答えは全然違う。

 

頭は経験と、常識と、ジャッジと、信念や先入観、固定観念、刷り込み・・などで答えをはじき出す。

 

でも、ハートはただ宇宙とつながり「愛」(感情ではない。)からの答えなのでものすごく柔軟で、柔らかい。

 

思わずにっこり笑ってしまうような感じ・・なのだ。

 

私たちの今生きている社会は、とてもガチガチで固いのだな・・と感じる。

 

気をつけていないと頭で一生懸命考えて、体のあちこちに知らず知らず力が入っている。緊張しているのだ。

 

でもひとたびハートに意識を合わせてみると、ものすごい安心感のもと体の力が抜けていくのがわかる。

 

そうすると、するするといとも簡単に答えが浮かぶ。

宇宙の叡智に繋がるからだ。

 

インスピレーションがくるのもやっぱりリラックスしているときなのだ。

 

宇宙の叡智は深く広く優しく限界がない。

人間の脳を遥かに超えている。

 

小さい枠の中ではすぐ問題になってしまうことも、枠を広げることで簡単に解消する。

 

私たちは本当は何でも選べるし、実際に選んでいる。

 

「そんなことは無理だ」

と思った、その「考え」を自分は「選んでいる」と気づくことだ。

選択肢は星の数ほどある。

 

何を選んでも間違いではない。

ただ、「選んだ」のは自分だと気づいていることが大事だと感じる。

 

長い間をかけて実際より小さく小さく限界を設けるように刷り込まれてきたものを、一枚一枚剥ぐことで本来の姿に気づくのかもしれない。

 

宇宙の法則はすべての人に等しく、またシンプルで分かりやすいのだ。

 

与えたものが与えられる。

願ったものが叶えられる。

 

それは純粋なものだけ。

「いいもの」「善」だけでない。純粋に「悪」を望むこともあるのだ。

宇宙はジャッジをしない。

常に大きな愛ですべてを包み込む。

「善」だろうが「悪」だろうが、宇宙が見ているのは「純粋」かどうかだけ。

 

だから「想い」は大切なのだ。

自分がいつも何を願っているのか・・

自分がいつも何を考えているのか・・

無意識に生み出しているその「純粋」な想いをいつも宇宙は見ている・・のだ。

 

「それがあなたの願いなのですね?分かりました。叶えましょう」・・と。

 

 

 

 

 

 

 

自分で生きる 自分を生きる 自分になる

「エゴ」をも包み込むような大きな「自分」になり、ただ「自分」を生きる。

それしかないのだな・・と思う。

 

外側は幻想なのだ。

幻想は現れてはまた消える。

消えるものに振り回される必要はない。

 

幻想をただ観察し、「自分」は何を軸に生きるのか・・?を決めることだ。

 

自分の軸は何か?初期設定を決めるとすべてはそれにそって進む。

 

正しさも間違いも善悪も関係ない。

それをもすべてひっくるめた世界。

 

「愛」を生きるというのはそういうことなのだ・・。

「自分」=「愛」なのだ。

 

「愛」になる・・ということは本来の自分に還ることなのだ。

 

 

 

 

 

宇宙マッサージ

プリミ恥部さん(白井剛史さん)の宇宙マッサージを受けた。

昨年暮れに知ったプリミさんの存在。

本を何冊か読ませていただいて、直感で宇宙マッサージを受けたい!と思った。

プリミさんいわく、「宇宙タイミングが合えば・・」ということで、きっとどこかで宇宙の計らいがあればタイミングが合うのだろう・・と感じていた。

 

すると、まさにそのタイミングがするするとやってきて流れるままにスムーズに受けることができた。

おもしろいことに、たまたま図書館で予約していた「違うことをしないこと」というよしもとばななさんとプリミさんの対談の本をその日借りて読んでいた日曜日の午後、ツイッターの着信音を聞いて見ると、その日の夜大阪で、宇宙マッサージ&舞&歌のイベントをする・・と言う通知。

 

「えっ?今日?夜?大阪?行けるじゃない!」

場所は家から一時間もかからないところ・・。

普段、プリミさんは東京にいらっしゃるので、この機会はめずらしい・・ということはまさにこのタイミングは・・宇宙タイミング!

 

と言うわけですぐさま予約をし、そそくさと準備し急に出かけることに決めた母を驚きの表情で見送る息子を後にし、わくわくしながらその場所に向かった。

 

 

初めてお会いするプリミさんは、いつものハートのパジャマでなぜか初めてお会いするのにずっと前から知っていたような安心感(やさしさ)を感じて、お部屋に入るなりものすごくリラックスしている自分に正直驚いた。

 

空間全体が本当に「愛」なのだ。

 

次々と宇宙タイミングが合った方々が来られる中、宇宙マッサージをしていただいた。

ものすごく優しい手で、目を閉じてどんな感じかなと思っているとスッと一本の光が通った。首の後ろに手を当てられたときはものすごく温かくて、その温かいものが皮膚を通って中に入る感じがした。

なんて気持ちいいのだろう・・なんて思っていると、「こんな感じです」というプリミさんの声。

 

ずっとマッサージを受けていたい(笑)と思った。

そのあとはもう芯からリラックスして、温泉に入ったような気持ちよさ。

 

ハートのチャクラあたりがものすごく安心して「愛」に満たされて、

「ああ、この感じが大切でこれが愛なのだ。」

とはっきり感じた。

 

何をするか・・は二の次で、どのような状態でいるか・・「愛」そのもので存在することの尊さを知った。

 

そしてそのようになりたいと願った自分を愛おしく思った。

 

私の願いはこれだったのだと確信した。

 

プリミさんの歌も素晴らしいバイブレーションで、まさにヒーリングだ。

 

また舞のときのバイブレーションもすごくて、初めての経験だった。

薄暗い中、目をつぶり、エネルギーだけを感じる。

あんなにはっきりと動くエネルギーを感じたのも初めてだった。

 

宇宙料金(その日の感じた愛を自由にお金にして渡す)をお渡しして、帰る道中もいつもの電車の中なのにまだふわっと温かいオーラに包まれたまま、寒さを感じることもなく家に帰りついた。

 

 

「愛」はことばにできない。

でも、それを感じるときっとすべての人は分かる。

なぜなら、それが私たちの根源だから。

 

ただ忘れているだけだから。

それを思い出すだけなのだ。

大切なのはそれに還ることだけなのだ・・と気づくひとが増えるとこの地球は本当に愛の星になるのだろう。

 

 

 

 

 

自分が創りだす世界

今年も「自分に集中」継続中。

 

自分にフィットしないものをはずす作業の毎日。

 

もあ~っとした感情が湧いてきたらチャンス・・。

今までは、外に原因を転嫁してドラマに入ることをしていた。

でももうそれは目いっぱいしたので、それから抜け出ることに決めた。

 

もあ~っとした感情は、自分の「観念」や「価値観」、「ジャッジ」もろもろが作用して条件反射をおこしている。

 

だから、その「感情」を起こしているもとの周波数(考え)に気づき、はずす。

 

「原因」は外ではなく、「自分」の中にある。

 

「自分」が何を創りだしているのか?

そして、何を創りだしていきたいのか?

意識するのはそれだけだ。

 

本当に外は関係ないのだと腑に落ちるとそれらは加速する。

 

 

 

 

自分の「深層」にある思いに気づく

「人生の真理」

「深い理解」

「人間とは・・」

 

ふとした疑問から自然に哲学へとつながり、さらなる疑問がスピリチュアルへとつながり、深い深い理解へとつながり、さらに次元を超える旅が続く。

 

人間は一生をかけて、いや、いくつもの人生を経験して謎解きをしているようなものかもしれない。

 

ただ単にゲームを楽しむような人生もあれば、波乱に満ちた設定を組んでドキドキを最大限経験する人生もある。

 

でもどれも実は「自分」で設定している・・・と言うことに気づいているかどうかは大事なポイントかもしれない。

 

 

ゲームに没頭したいひとは、それを誰かに教えられても無視するか、

「楽しみを奪うな!」と言わんばかりに、怒りだすだろう。

 

「答え」を教えられても困るのだ。

まだまだ「お楽しみ」に集中したいのだから。

 

 

本当にそこから一抜けた・・と出たい人はその方向に必ず導かれる。

なぜなら私たちが「現実」だと思っている世界は、私たちの「思い」の世界だから。

 

「思い」が変化すれば、「現実」が変わるのは当然なのだ。

 

でもその「思い」は表面的な思いでなく、本当の「思い」だ。

口先だけでない、深層にある「思い」だ。

 

自分の「深層」にある思いに気づくことはとても大事なことだ。

 

そして、そこに繋がることが本当に人生を生きやすくする鍵を握っている。

 

 

 

 

 

 

自分でいることの気楽さ

以前は、他の人からの見えない思いや考えなど無意識に拾ってしまって、

「自分はどうか?」

と確認することなく無意識に反応していた。

 

要は自分の思いよりも、相手の思いを先に受け取りそれに合わせる・・・ということだ。

 

そして私は「水」の要素が強いので(ホロスコープから)、簡単にまじりあってしまう。

 

特にいつも一緒にいることの多い家族からは影響が大きい。

 

でもその特徴を知り、また「自分がどうしたいのか?」を常にクリアに意識することにより随分とラクになった。

 

自分の責任の範疇にないことに繋がらなくなったからだ。

気づくとスイッチを切る・・ということを意識して繰り返すことを常にしている。

 

そして「自分」でいることの気楽さを今更ながら気づかされた。

 

どんなに文句を言われようが責任があるのは「自分」自身のことだけなのだ。

そして実際の責任を負えるのも「自分」のことだけなのだ。

 

それは他の人の面倒やお世話をしない・・というのではなく、自分がやりたいという責任においてやるのだから、「感謝」や「お返し」がなくても気にしない・・という態度のことだ。

 

 

だから「義務」や「犠牲」からは動かない・・ということ。

 

本当の意味で「従う」のは「自分」にだけだ。

分からないことは「自分」に聞く。

迷ったら「自分」に聞く。

どうしたいのか?

どうなりたいのか?

何を食べたいのか?

何が好きか?

全部答えは自分の中にある。

 

その通りに従えば満足するのだ。

 

でも自分に従うには「勇気」と「覚悟」がいる。

「まちがっているかも」

「失敗したら・・」

以前の私は、怖くて不安でそうできなかった。

 

でもそれも全部含めて「覚悟」したらとても楽になった。

 

「自分を満たす」こと以外に人生でやることなんてない。

 

それはある地点を過ぎると「わがまま」と世間では見えるかもしれない。

でもそれをも超える覚悟で生きるひとは本当の満足を得るだろう。

 

私はまだそのスタート地点に立ったばかり。

目指すのはいつも自分の思いにこたえること。

自分のリクエストに本当に答えられるのは、「自分」だけなのだから。