左腰の「怒り」
もう自分の子供時代が、遠い前世のように感じる。
違う人のようだ。
子供時代・・・ひとりで流した涙も数知れず・・。
誰かに相談することもなく、よくひとりで(今は一人じゃなかった・・と分かっているけれど・・)頑張って生きてきた・・と感心する。
もう様々なことが消化されているので、何の感情も残っていない・・。
けれど、私の左腰には「怒り」が残っている。
ずっと昔の。
いつのものかはわからない。
これを解放する時が来た。
体には表現されなかった感情がため込まれる。
「怒り」・・幼い私が感じたものなのか・・どの私が感じたものであっても、それは間違いじゃない。
閉じ込めて感じることをしなかった・・それが体に記憶されている。
「怒り」・・苦手な感情だった。
「怒り」を感じることをどこかで「いけない」ことと思って、感じないように無視したのかもしれない。
「怒り」は起こってくる。
ムクムクと。
それを感じて感じて流せばいい。
無かったことにする・・のは自分を無視している。
どの感情も自分に許す。
「こんなことを思うなんて自分は間違っている・・」
「こんなことを思ってしまう自分は、ひどい人なんだ・・」
「感情」は本来の自分ではない。
「感情」は「感情」で、いいも悪いもない。
全てを含む・・何もかも・・それが本来の私たち・・なのだ。
何が本来の自分なのか、流れていかないずっとずっと存在するほうが本当の自分なのだ。感情はただ流れていく・・それらはこの地球のバイブレーションなのだ。
地球のバイブレーションから抜けていく時代・・が「今」なのかもしれない。