お金に対するブロック
「お金」・・・に関して、私は様々なブロックがあったことを今回思い知った。
このブログで「お金との向き合い方」を書いて、もう一度自分の中に不要な前提がないか?調べてみたら、ありました!大きいのが・・・!
育ってきた家庭環境の影響が大きいが、それをまぁ後生大事に守ってきた・・・と笑える・・ぐらいだ。
「贅沢」することに罪悪感を持ち、
「自分のためにお金を使う」ことを秘密にし、(しっかり使ってましたが、堂々と言えなかった。笑)
「お金を持ちすぎると、面倒なことになる!」と思い込んでいた。
でも、心屋さんの本を読んで、「お金」に対する前提(観念)を変えてみたら、現実がするすると変化してきた。
私の前提で一番変化したのは、「人に頼ってもいい」だ。
今まで、「自分の事は、自分で何とかするのが当然。それが大人であり、自立するということだ!」
と、強く思ってきたので、「人に迷惑をかける」なんて考えられなかった。
なので、人を助けることはあっても「助けられる」・・・ことはめったに無かった。
家庭でも、主人に甘えたり頼ったりすることはほとんどなく、いつでも一人になった時に大丈夫なように心構えをしていた。(笑)
それは、私の両親を見て勝手に、私が危機管理をしていたのだろう。
父は、賭け事の借金が膨らみ何度も蒸発を繰り返していた。
両親は、私が高校生の時に離婚し、母が三人の子供を育てた。
なので、私の中で「父」は頼れない存在で、もちろん母も生活で手一杯なので、迷惑はかけてはいけない・・と固く思っていた。
もちろん、そのおかげで自律することもできたと思っていたので、全然悲観的ではなかった。
でも、「受け取る」「与える」バランスは、ちょっと「与える」に傾いていたのだろう。
もっと「受け取って」いいのだ・・・。
と、自分に許可した。
「人の助け」も「お金」も「豊かさ」も、全然受け取って良いのだ・・・・と。
そうすると、主人の転職もとんとん拍子に決まり(お給料アップで)、子供関係の給付もあったりで、私のまわりから受け取ることが続いた。
「なるほど~」
ブロックをかけていたのは、「私」の思い込み・・なのだ。
「お金はあなたに何と言っていますか?」
の質問に、
「私たちは、あなたのもとにもっと行きたかったのにあなたが来させてくれなかったのですよ。でも、やっと招いてくれたので遠慮なく来れます。」
・・・・・ははは・・苦笑い。
自分が生み出すお金はいつもちゃんとあったけれど、まわりからのものは遠慮していた。いや、それは、もらってはいけない・・とさえ思っていた。(自分があげるのは全然いいのに・・。)
誰かが私を助ける喜び・・を奪っていたのだ。
自分は人を助ける喜びを十分味わっていたのに。
「助けられる」のも、豊かさなのだ。
「助ける」と同じくらいの善行なのだ。
こうして、「気づく」ことが、今までの前提をひっくり返して、全然違う現実を生み出していく・・・のだ。
なので、やっぱり「現実は自分が作っている」のだ。
「現実は自分の前提が作っている。」・・・のほうが分かりやすいかな。