静かな境地から
今、とても不思議な状態にある。
過去にも縛られず、未来を思うこともなく、ただ「今」を生きている・・・・そうすると、ものすごい安心と幸福感と感謝が感じられる。
でも、習性とは残るもので「えっと、何かやらなくっちゃ。」とエゴがせかし始める。
そして、そのエゴの発言に気がつき、また「今」にある。・・・・の繰り返し状態だ。
「今」・・にあると時間がとてもゆっくりたっぷりあるように感じる。
だから、行動しているときの動作が丁寧になる。
「時間」は人によって、長くなったり短くなったりする。
本当は「時間」なんてないのだろうな・・・と思う。
今は静かな境地で、この世のあれこれを遠くから見ているって感じで、もう自分は熱狂的な(この世の)プレイヤーではない。
その立場で、なにができるのだろうか?・・と考えたりもするけれど、結局答えはいつも一緒で、「皆の自由意思を尊重し、見守る。」だけ。(笑)
なんとなく、皆が自分のドラマに夢中になり続ける理由がわかる。
退屈しないのだ。
だからと言って、なんだかひとり上から目線でエラそう・・・なんて思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、どんぐりの背比べ・・です。(笑)
いつでも、一抜けた(自分のドラマから)は自分の意志でできます。
どんなに環境のせいにしても、親やほかの人のせいにしても、自分の自由意思は何よりも強いです。
「自分の現実は自分が作っている。」
・・・ということに気がつくこと。
でも、焦る必要はないし急ぐ必要もない。
どんなひとも、必要な経験をしている・・・のだ。
宇宙には善も悪もない。
そして、今エックハルト・トール氏の言葉が深く沁みる。
「(スピリチュアルなことに目覚めていくと)、人生においてあなたを完全に満たしてくれる状況に出会うことはなくなります。あなたを完全に満たしてくれる物理的な場所、住む場所、またはあなたを完全に満たしてくれる人間関係、関係性、常に満たしてくれる活動、これらのものに出会うことはなくなります。
あなたがどこへ行こうとも、何をしようとも、どこかに満たされない要素を常に見つけることになるでしょう。それは、この形ある世界にいる限り避けられないことなのです。
どんな形にも限りがあるからです。しかし、もはやそれも問題ではなくなるのです。なぜなら、目覚めた人の幸福、満足感、生きがい、喜びは条件によってもたらさられるものではないのです。それは無条件の意識からやってくるものだからです。
あなた自身である生き生きとした存在意識そのものからくるものだからです。
これが最終的な満足感なのです。」
「どんな形にも限りがある」・・・だから・・か。
「私の成功の形」が全然見えなくて、不思議だった。(以前)
やればどんなことも達成できる・・・とわかっていても、それじゃない・・と私が言う。
望んでいたのは、形の上での成功ではなく、深いところでの理解と目覚めだったのだ。
その声を素直にきいて、今にたどり着いた。
すべては自分の中にある。
最初からすべて自分の中にある。
そのことを知るためにみな一度は、いや何度でも、外へ外へと旅に出るのかもしれない。