自分のために生きていいのだ
「人の身になって考えなさい。」
小さいころよく母に言われたことだ。
自分のことを一番に考えるのは、わがままだと思っていた。
自分のために何かしてもらうのは、罪悪感さえ覚えた。
誕生日を祝ってもらうのも、(幼稚園のみんなに)なんとなく居心地が悪かった。
その時の写真の顔を見ると、「うれしい」・・・ではなく、完全に戸惑っている。(笑)
母は、「継母だから子供の躾ができていない」と、よそ様に言われないようにと、とても厳しかった。(生みの母は、私が一歳の時に亡くなっている。だから、高校生になるまで今の母が継母だと知らなかった。)
厳しすぎて、姉は小学生の時に家出したくらいだ。(無事、見つかったが・・)
叱られる姉を見て、やって良いことと悪いことを学んでいた。
とにかく怖かったのだ。
そんな感じなので、親に甘える・・わがままを言う・・・なんてことは、思いもしなかった。毎日、母の顔色をうかがうことが、私が親に対してしていたことだ。
とうてい無邪気でなんかいられない。
母と同じ空間にいるときは、常に緊張していた。
・・・と言うと母がとんでもない人のように聞こえるがそうではない。
ただ、スキンシップなどの直接的な愛情表現の苦手な人なのだ。
責任感が強く、情に厚い人である。
(・・・ということが理解できたのは自分が子供を持った後であるが・・。)
とにかく、母を一人の女性として見た場合、いろいろあわない部分はあるものの尊敬できるところもあり、今はよく育ててくれた・・・と感謝しかない。
そんな子供時代を過ごしていた私が何を楽しみにしていたかというと、漫画や絵を描くこと、本を読むことだった。
そこには、理想の世界や、まだ見ぬ未知の世界があってただただ楽しかった。
小学生のころ、母が初めて買ってくれた本が(絵本の次に)、「あしながおじさん」(翻訳 曽野綾子さん)だった。
今でももっているくらい大好きな本で、曽野さんの訳の素晴らしさを感じる、言葉遣いの美しい物語だ。
孤児の主人公ジュディに自分を重ねて、いつか自分もジュディのように自由に生きよう・・・と夢見ていたのかもしれない。
実際、二十歳で家を就職のため出たときは、やっと自分の人生が始まる・・と家族と離れる寂しさよりも、わくわくのほうが大きかった。
二十歳から内面の自分旅はより深くなるのだが、続きは後日・・・。