ふとした言葉はあなたへのメッセージです。 そのまま受け取ってください。

「ありふれたもの」

日々の生活を丁寧に・・

自分の足元をよく見て・・

 

日々顔を合わせる人のことばの向こう側の思いを大切にし、また感じるように・・

 

 

最近よく感じること。

 

こうして普通の毎日を暮せることはものすごく幸せなのだ・・ということ。

以前から感謝を感じていたけれど、より実感としてありがたいなぁ・・と感じる。

 

水が出ることも、火が使えることも、電気が通っていることも。

 

おいしいものが食べれることも、雨風暑さ寒さをしのげることも・・。

空を見上げて、「ああ今日も空がきれいだな・・。」と思えることも。

テレビを見て無邪気に笑えることも・・。

 

 

特別なことが何もない一日がとても愛おしく感じる。

 

それでいいのだ・・と感じる。

原点に返る感じ。

 

すべてに感謝。

それしかない。

 

「ありふれたもの」の中にすべては見事に奇跡のように詰まっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「直感」というギフト

「よく自分の直感を信じて」

「直感が強い」

 

・・と何度も何度もリーディングで言われた。

そのことの重要性をスルーしているとも知らず・・。

 

しかし、さすがに気づいた。

いや、気づかされた。

「いいかげんにしなさい!」・・と。(笑)

 

自分にとってはあまりにもふわっと入る情報で、しかも何の根拠もないのでうっすら疑いながら従ったり、スルーしたり・・を繰り返していた。

 

けれどよくよく思い返してみると、恐ろしいくらいに正確な情報で行くべき道や、とるべき行動を教えてくれていた。

 

ずっと以前に職場で、これは明らかにイジワルされている・・と感じることがあった。けれど全く腹が立たなかった。なぜなら、その意地悪をしている人の寂しさや、コンプレックスやもやもやが、そういう行動に繋がっている・・と感じ取ることができたからだ。

 

この人も大変なのだな・・と思うことが自然にできたので、イジワルには反応せず淡々と接していたらいつの間にか普通に会話できるようになって、その人も優しさを見せてくれるようになった。

 

そのようなことは今も日常にたくさん点在している。

 

実際に五感で感じる以上の情報がどこからともなく分かる・・これが直感なのだ。

 

それはギフトなのだ・・と思う。

本当は誰にでも備わっている。

 

ただそれに気づき、そしてそれを信頼するかどうかなのだ。

 

信じたり信じなかったりするのでなく、これからは「直感」に従って生きると腹をくくる時が来た。

 

そしてこのギフトに感謝しよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

「私は 私に属することにのみ責任を取ります」

イリアム・レーネンさんのことば。

 

レーネンさんは本当に霊的哲学をそのまま生きている・・ひと。

だから、その言葉はそのままレーネンさんだ。

 

スピリチュアルはふわふわしたものでないし、またおとぎ話でもない。

言葉で説明が難しいことを、レーネンさんはシンプルに分かりやすくはっきりとおっしゃって下さる。

 

いつもそのクリアな発言に「はっ」とさせられて、自分の中を調整する。

 

「私は、私に属することにのみ責任を取ります。」

・・これも何度も何度も本やブログで読んだにもかかわらず、いまだにハッと気づかされる言葉・・。

 

 

目の前に助けが必要な人に、その時自分ができることをしたらあとは心配などしないこと。

それは自分に属する責任でないし、またその人の力を信じていないから失礼だ。

 

乗り越えられない試練を魂は設定しないし、その経験を(どんなに大変そうに見えても)するために生まれてきていることもあるのだから。

 

だから「大変そう」とか「かわいそう」と思うのは本当は失礼なのだと思う。

ものすごいガッツがあって、たくましい魂なのだから、私はいつもそういう人に会うと

心の中で「尊敬します!頑張ってください。」と頭が下がる思いなのだ。

 

見えない世界と、見える世界の見解が逆なことはよくある。

そこは俯瞰で見ると面白いなぁ・・よくできているなぁ・・なんて感心する。

たぶん、さらに俯瞰で見ることができる世界が何層にもあるのだろう。

 

何はともあれ、どの人もどのひとも精一杯自分の人生を生きている・・魂が望む経験をしている・・・そのことを尊重したい。

 

 

 

 

 

 

 

スピリットたちとつながって生きる

いま、地球やこの現実の中で「奉仕」をしたいと思ったら一番先にすることは、

「自分をご機嫌にする」・・ということ。

 

自分の中の様々な思いを受け入れる。

自分の過去を受け入れる。

自分を、許す。

自分を丸ごと闇も光も全部ひっくるめて良しとする。

 

「自分」を愛す・・とは、自分の良い部分だけを愛すのではなく、全部それこそ

誰にも知られたくない恥ずかしいところや、ドロドロしたところも含めて全部受け入れ

て、それらの存在を認める・・こと。

 

 

宇宙の叡智が間違うことは無い。

光にも闇にも必ず「意味」がある。

到底人間の脳では、理解が及ばないことだ。

でも、宇宙の叡智とつながるとそれは深い意味があり、最後は愛なのだとわかる。

 

 

頭を使いすぎないで、感じることを大切に。

スピリットたちとつながり、限定された脳の範囲で考えずに生きよう。

そうすることで今の自分の周りや、ひいては地球のエネルギーを強くするのに

貢献することになるのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

違いを尊重する

「ひとつのできごと」・・・に対する考え、捉え方、見解、思い・・・などは、皆それぞれ違いがあり、ことによっては大きく違う。

 

それは、もとになっている考え、判断基準、親の刷り込み、地域の風習、固定観念、信念・・・ひいては前世や魂の記憶の違いによる。

 

・・であるならば、どちらが正しいか?などと言う議論は、無駄である。

さらに、相手を説得するのも意味がない。

 

みな、そのときのそれぞれの次元で「ものごと」を見て、「考えて」いる。

 

 

次元が違えば見る現実も違う。

 

その「違い」を尊重しよう。

 

どちらが上とか下でなく、全然次元が「違う」から、相手の見ている「現実」ももちろん存在し、また「考え」も間違っていない。

 

「同じように見ている」・・と思っている現実も、実は全く違うのだ。

 

だから人と比べるのは本当に意味がない。

うらやましがるのも意味がない。

 

自分が見ている現実を尊重し、そこが苦しいなら違う次元に移動しよう。

 

次元が変われば同じ出来事であってもまったく違う感じ方をする。

 

今の時代はいくつもの次元に移動するチャンスがたくさんあるような気がする。

 

 

 

地球に来た目的は・・・。

本当は「間違い」や「失敗」や「問題」と言うものはないのかもしれない。

 

そう「考える」思いを無意識に、また意識的に握りしめている「自分」がいるだけ。

 

そう強く「思う」からこそ、その現実にエネルギーが注ぎ込まれ、より現実味を帯びて

シリアスになる。

 

(ただ、現実逃避のためにこの「考え」を都合よく使うことはあまり意味はない。

胸の奥深くから本当にそうだと感じることが現実に現れるから。)

 

「間違い」と思うからこそ焦りが生まれ、ひとを批判し、ひとを変えようと躍起になる。

自分には「間違い」と見える道も、その人にとっては大事な通過点で、「まちがい」という「結果」ではない。

 

自分自身の事も同様だ。

間違いと思うから、自分を責めて自分を否定し自信を無くす。

通過点であり、それを「体験」したかったからその道を通っただけなのだ。

 

どんなに苦くても理不尽な「体験」であっても、それは通過点で「結果」ではない。

 

その「結果」もだんだんどうでもよくなる時が来る。

ただ「体験」することだけが目的なのだ。

 

地球に来た目的は「体験」なのだ。

壮大な旅行だけど・・(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「エネルギー使い」

私たちの本質は

「エネルギー使い」で、何かに意識を向けるというのは

自分の「生命エネルギーを分配する」ということです。

 

・・・津留晃一さんの本の中の一文に、ハッとした。

 

そうマザーテレサも、反戦運動に参加するのでなく平和であることに「意識」を合わせてください・・と言われていたのを思い出した。

 

「意識」を向けたものにエネルギーが注がれていく。

 

だから、誰かの心配をしたり、妬んだり恨んだりすることはその相手に自分の生命エネルギーを注いでいることだ。

 

感謝したり褒めたり、喜び、感動したりすることに意識を向けると同じようにエネルギーをそれらに注いでいる。

 

自分は何に「意識」を向け、何に「生命エネルギー」を注いでいるのか、また注ぎたいのかをクリアに決めよう。