ふとした言葉はあなたへのメッセージです。 そのまま受け取ってください。

コミュニケーションの不具合は・・。

ひとは自分の思い込みで生きている・・。

 

「俯瞰で見る」・・ことができて初めてクリアなコミュニケーションが成立するのかもしれない。

 

人間関係の不具合も、だいたいが双方の思いこみが何枚も重なり合って複雑になっていく。

 

最初はごく小さな「誤解」や「思い込み」から始まる。

 

例えば、ある人が今日は挨拶をしてくれなかった・・。

たったそれだけのことから思い込み、決めつけが始まったりする。

そして次に会ったときには少しの警戒心を抱きながら会話したりする。

少しでも失礼な発言があると「ああやっぱりね・・。」

と、自分の思い込みを強化する。

そしてそれは固定化されてゆく。

いつの間にかその人は「苦手なひと」となっている。

 

 

客観的に見ると、相手はただ重要なことを考え中だったのかもしれない。

体調がすぐれなかったのかもしれない。

あるいは物理的に聞こえなかったのかもしれない。

 

反射的に思い込む前に、その「思い込み」に気づくことが大事だ。

 

どんなに無礼な人であっても、そうなる理由がその人の歴史の中にあるのだ。

その歴史まで知る必要はないけれど、「想像力」や「理解」を使うことでコミュニケーションはとれる。

 

瞬間の動作ひとつで人を判断できないし、そうすることは何も生み出さない。

 

もちろん適度な距離感を保つことは大前提だ。

 

ひとを尊重する・・とはそういうことなのかもしれない。

 

その人の生きてきた歴史はその人しか知りえないのだから、軽々しく決めつけたり批判するのでなく、「わからない」部分を推し量る「愛」や「理解」を使いたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

「節度」

「節度」・・度を越さない、適当な程合い。

 

これほどあいまいで、とても奥の深い言葉がある国が他にあるだろうか・・?

 

「節度を保つ」ことは、成熟した大人が得る一つの宝物だ。

 

そこにははっきりとした線引きはなく、それぞれ個々のケースによっていい塩梅を生み出せる柔軟な智慧を持つことで、様々な事柄の中を流れるように進むことができる。

 

だから「節度」は教えることが難しい。

自ら様々な事柄にあたったときの経験から培われることが多い。

 

だから、度を越す経験をして初めてその出過ぎた部分に気づく。

 

そしてその「度」もひとそれぞれなのだ。

 

これほどあいまいで、分かりにくいことを「節度」という美しい言葉で表現した先人は素晴らしいと思う。

 

そこには相手に対する「思いやり」も見て取れる。

 

「個」を大切にするあまり、「節度」が失われて周りが見えなくなるのは本末転倒だ。

 

「共存共栄」・・・私たちは実感が無くても、目に見えなくてもどこかで繋がっている。

 

「節度」を持ち、どんな人であっても尊重して生きていくことが「成熟」した大人なのかもしれない。

 

 

 

 

特別な人はいない

特別な人はいない。

 

自分も含めて、もちろん自分の家族、子供・・、すべてこの人だけ特別・・と言うのがない。

 

もちろん好き嫌いはある。

でも「特別な人は誰ですか?」

と聞かれると、いないのだ。

 

皆特別であって特別でない。

 

いつの間にかそうなっていた。

 

尊敬する人、信頼できる人、素敵な人・・はたくさんいる。

 

苦手な人、合わない人・・ももちろんいる。

 

でもそれだけ。

みな自分とそう変わらない。

まとうエネルギーが違うだけ。

 

根源の生命エネルギーに違いはないのだ。

 

 

批判や反対にエネルギーを使わない

たくさんの矛盾や、変だと思う環境やシステムがある。

 

でも私はそれらの批判や、反対することにエネルギーを使わないように気をつけている。

 

問題提起をして様々な人に気づいてもらうことは必要だ。

 

でも、「反対すること」、「批判すること」に終始することはあまり意味がないように感じるからだ。

 

その変なことも、今の時代に合わないシステムも、長い歴史の中では機能していた時代があったのだ。

今は過度期なのだろう。

古いシステムや常識が機能していない・・と多くの人が気付き始めている。

 

 

長い間に作りこまれたものは、ゆっくりと巨大化して当たり前のように存在しているけれど、人々の意識が変化するとそれらも変化する。

 

大きすぎてどこが変化しているのかよく分からなくても、確実に変化しているのだろう。

 

「教育」、特に小学校の教育はもう多くの人が今のシステムに限界を感じている。

 

もう「昭和」のやり方は機能しないのだ。

「令和」の時代の新しいシステムや、カタチができてくるだろう。

 

今目の前にある「できること」をしながら、新しい道を開拓し、貢献することが大きな望みでもある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分を透明にする

「自分を透明にする」

 

・・・ことが私のリセット方法だ。

ぎゅっと固くなっている体や、一生懸命考えていること・・などにふと気がついたら、

透明マントを被り自分を透明にする。

 

周りの空間と一体化する。

 

いったん全部手放す・・感じだ。

 

脳が一生懸命組み立てて、つじつまを合わせようとしていることや日常のあれやこれやを全部消すのだ。

 

そうすると気づくのは、それらはそれほど重要じゃない・・ということ。

 

後に残るのは、その瞬間の意識だけ・・。

 

本当はそれでいいのだ。

 

一瞬前にあったことももう関係ないのだ。

起こったことを脳は連続した記憶として保管する。

 

けれど、真実の時間はその「今」しかない。

 

「いま」しか生きてないのだ。

 

時々朝起きると

「え~っと、私はいくつで、ここはどこで、今日は何日?」

と、脳の記憶を手繰り寄せないとわからなかったりすることがある。

それはたぶん寝ているときは、時間のない次元へ行っているからかもしれない。

 

地球(三次元)で生きるために、名前、性別、キャラクター、年齢・・などがあるけれど、本当の自分はそれら(肉体)を含むもっと根源的でもっと大きなエネルギーなのだ。

 

だから時々その根源のエネルギーの繋がりを感じるために三次元のものを透明にしているのかもしれない。

 

 

そうやって自分のバランスを取りながら、ここでできることをしていくのだろう。

 

 

 

 

 

自分の操縦席は誰かに任せてはいけない

自分を信じる・・

ことの大切さを折に触れて痛感する。

 

それを怖がるのは、「失敗」やとんでもないことをしでかすのでは・・という恐れだ。

 

でも自分の直感や感覚ほど(自分にとって)確かなものはないし、それは他の人が知る由もないこと。

 

実は他の人は私が本来の「自分」に気づくまで、さまざまな役割で登場し、様々なことを言ったりしたりする。

 

いつまでも他の人を頼りに自分の操縦席に座らずに、誰かに譲っているとどこに行くのか、どこにいるのか全く分からなくなる。

 

行先は自分で決めていいし、もちろん正解、不正解はない。

ただ自分に必要な経験が待っているだけ。

 

だからやみくもに情報をなんでもとりいれる必要もないし、いちいち誰かに許可を取る必要もない。

 

 

今までの一般の教育があまりにも「自分で決める」ことを教えないものだったので、そんなこと考えたこともない・・という子どもも多い。

 

 

だから「だれか」の言うとおりにすることがお利口で、しない子は「悪い子」・・や「できない子」・・という扱いになる。

 

実は初めから子どもたちは自分の操縦席にちゃんと座っている。

それを横から

「それは間違っている」

「そっちじゃない、こっち!」

「あ~ほらほらまた失敗・・。」

 

なんて調子で口出ししているうちに、こどもは自分の運転に自信を無くし、ナビの言うとおりにしか運転しなくなる。

 

それらの横やりに負けずに自分で好きに運転をし続ける子は、あちこちぶつかりながらも、自分なりの操縦方法を見つける。

そして自分で行き先を決め、自由にドライブを楽しむ。

 

本当はそのように子供たちを導くことが大人たちの責任でもある。

 

立派なレールや車に乗せることでなく、どんな道でも「運転」できる「強さ」やタフさ、失敗から学び走り続けることの素晴らしさ、ひとを思いやることの尊さ・・などを折々に励ましながら教えることが本来の「教育」の在り方だ。

 

そして自分の操縦席は誰かに任せてはいけない、自分で責任を持って運転するのだ・・ということも言い続けることだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分のヒーリング

子どもの頃、毎日絵を描いていた。

 

特に女の人の顔を描いていた。

周りの友達や先生も上手だね・・と褒めてくれた。

 

でも私は絵を描くことがものすごく好きで描いていたわけじゃなかったのだと最近気がついた。

 

「描く」ことが自分のヒーリング・・癒しだったのだ。

 

思い返してみれば、いつも何らかのヒーリングが自分に必要なときにスケッチブックを広げ、ただそのとき描きたいものを、描きたいように描くとそれで満足だった。

 

絵を出来上がらせること・・でなく、その過程が自分にとって必要だったのだ。

 

指を動かし、左脳でなく右脳を使い、色を塗る。

 

ただただ感覚だけを使う時間。

 

何を描くかも決めずにただ描きはじめることが多い。

 

描いているうちに線は様々なものになり、形を創り始める。

 

大人になるとその「絵」を描くことが、「文」を書くことに変わった。

 

今も何を書こうかと決めずに書く。

 

「感覚」を頼りに。