ふとした言葉はあなたへのメッセージです。 そのまま受け取ってください。

どうでもいいことの先に見える景色

流れる思考・・。

自分の思考を観察していると、人間って本当にどれだけ「思考」しているのか・・・

と驚愕する。

 

それもほぼどうでもいいこと(笑)を・・。

 

それで、もう人生50年も生きてきたのだから、「もういいな」と思った。

「思考」は生きている限り流れてくる。

でも、いちいちそれに付き合うのはもうやめる。

 

流れるままほっておく。

止めることも、抵抗することも、迎合することも、深追いすることもなく。

 

「どうなるのか?」・・・と言うのも「思考」なので、答えは分からない(笑)

 

目的地を決めない「旅」の始まりだ。

 

その時その時の感覚で「すること」が決まるのだろう。

 

ちょうど「いま」の感覚は、「すべての事はほとんどどうでもいいこと。」(笑)

と言う感じ。

 

「どうでもいいこと」の波を後ろに、どんどん泳いでその先に見える景色を楽しみに

2018年を過ごそう。

 

 

 

 

 

繋がっている場所

年末ですね。

取り巻く状況は(現在)、いいものではありませんが・・そこに左右されない部分があって、そこは最高に平和で平安です。

 

今年一番の気づきはその場所を発見できたことです。

 

実は、すべての人がその場所とつながっているのです。

でも、あまりにも外側の現実(幻想)が忙しくて、騒がしいのですっかり忘れ去られています。

 

スクリーンに映る映像に夢中で、スクリーンであることを忘れてしまう・・・感じ。

 

 

そうすべて映像のように映し出されては次の瞬間消えてゆく・・。

ひとの人生も同じなのだと感じます。

 

映し出されるものを享受しよう・・。

ただあまりシリアスにならずに。

 

素晴らしいものもそうでないものも、同じように受け入れよう。

実はそう違いはないともう知っているから。

 

2018年のスクリーンには何が流れるのか全く分からないし、特に目標も期待もないけれど、ただどんなものが流れても大丈夫だということだけは、繋がっている場所が教えてくれている。

 

 

 

 

 

沈黙の中で動くもの・・。

ひととの会話の中で、「沈黙」が流れるときがある。

 

今までは、次に話すことや相手の思いなどをくみ取ることに、意識が向かっていた。

 

その意識を、自分の奥深くに向けて

「何を感じているのか?」

ということを観察してみると・・

「不安」や「恐れ」、「否定」「批判」「ジャッジ」・・などなど。

 

それらは一般的には、「ネガティブ」と言われる感情たち。

 

「なるほど・・」と腑に落ちたのは、それらも当然自分の大事な一部であり、決して

「排除」したり無視していい感情じゃない・・ということ。

ちゃんと光を当てて、明るいところに出してあげること。

(自分の中でその存在を認める・・ということ。)

 

そして、その「不安」や「恐れ」に向き合うこと。

自分が何を不安に思い、何を恐れているのかをよく観察することだ。

たいていはそれだけで、それらは姿を消す。

なぜなら、それらも「感情」だから。

「喜び」や「幸福感」がいつまでも留まらないのと同じく、それらも感じきると流れていく。

 

無視したり、感じなかったりすると溜まってしまって心の澱になる。

「いい感情」も「悪い感情」も実はない。

あるのは、「感情」だけ。

 

すべては流れている。

沈黙の中でもエネルギーは、ものすごく活発に動いている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分を一番楽しませることができるのは・・・。

「学ぶ」・・時期がそろそろ終了して、「体験」へと変化している。

 

外側からの情報や知識はもう十分すぎるくらいに堪能した。

 

そして一番最後に気づいたのは、自分の「答え」は常に自分の中にあるということ。

そして、それを信じていなかったのはほかならぬ自分だった・・ということ。

 

「独りよがりな考えかも・・。」

「まちがっているかも・・。」と。

 

でも、いつも最後は気づく。

「答え」が常に最初から自分の中にあったことを。

 

それを選択するのに必要なのは、「勇気」だ。

 

どんな結果をも引き受ける覚悟も。

 

でも、たぶんそれこそが最高におもしろく、楽しいことなのだ。

 

自分を一番楽しませることができるのは、自分しかいない。

真実はいつもごくシンプルなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

体は自然に修復しようとする

「からだ」・・ってすごいなぁ・・といつも思う。

 

どこかのバランスが崩れると、「痛み」で信号をだす。

それでも修復の時間を取ってくれないと、「病気」と言うサインで時間を確保してくれる。

 

そして、休みなく「修復」へとバランスを取ってくれる。

 

余計なことをしないように・・と引き算で考える。

 

「痛み」を嫌わないように。

「自然」・・であるということは、どんな状態をも受け入れる・・ということ。

 

「からだ」のなかで、休みなく働いていてくれる細胞たちに「多大なる感謝」を。

 

 

「・・で、どうする?」

何でもそうだけれど、最後の最後に行きつくのは

「・・で、あなたは(私は)どうする?」

ということ。

 

「決めるのは、あなた(私)」だ。

 

「あのひとが、こう言っていた。」

「時代が・・。」

「親が・・」

「先生が・・」

「彼(彼女)が・・」

「世間が・・」

「偉い人が・・」

「夫が(妻が)・・」

「子供が・・」

「お医者さんが・・」

 

誰もが何かをあなたに言うだろう。

でも、何をするか、どう考えるか、どんなふうに感じるかを「決める」のは

「自分」なのだ。

 

「無意識」でいると、「そんなわけない!」と言いたくなるだろう。

でも、ちゃんと意識して自分の思いを観察していると、気がつく。

 

自分の意にそわない結論を選んでいるのも、自分。

 

皆何かを決断する時だけ、自分で決めていると思っている。

でも、あらゆることは実は自分で決めているし、決めれるのだ。

 

そして「決めて」いいのだ。

 

あなたの主人はあなただし、自分ほど自分を知っている人はいない。

 

その主役の座を誰かにやすやすと明け渡すようなことはやめて、怖くても分からなくても不安でも、自分の決めた道をそのまま引き受けよう。

 

 

 

 

 

 

理想は幻想

巷にあふれるキャッチコピー・・「あなたも〇〇すれば、〇〇になれる!」

 

多くの人が「今」の自分じゃいけない・・もっともっと頑張って、あるいはもっともっと素晴らしいものを手に入れなくっちゃ!損しちゃう!遅れちゃう!とばかりに、毎日何かに向かって、動いている。

 

そして、わずかに成功した人はまた

「私は〇〇で、成功しました!」

と、ふれまわる。

 

みんな同じところを違うアイテムを求めて、くるくる回る。

 

みんなに当てはまる「成功」なんてない。

 

 

 

だって、それぞれが違う個性を持って、違うエネルギーを放つ存在なのだから。

 

答えはいつも自分の中にある。

それにはもっと客観的に物事を見て、自分の奥深くに潜んでいる「声」を聴けるくらい

自分の内側へ入っていく時間を持つことだ。

 

自分は何者でどことつながっていて「本質」は何かがわかれば、もう安易に外側に

「理想」を求めたりしないし、そんなものはないと気づくだろう。

 

あなたは自分で望んだ姿をしているし、望んだ人生を歩んでいると受け入れることができたとき、世界は全然違ったものになるだろう。