自分の操縦席は誰かに任せてはいけない
自分を信じる・・
ことの大切さを折に触れて痛感する。
それを怖がるのは、「失敗」やとんでもないことをしでかすのでは・・という恐れだ。
でも自分の直感や感覚ほど(自分にとって)確かなものはないし、それは他の人が知る由もないこと。
実は他の人は私が本来の「自分」に気づくまで、さまざまな役割で登場し、様々なことを言ったりしたりする。
いつまでも他の人を頼りに自分の操縦席に座らずに、誰かに譲っているとどこに行くのか、どこにいるのか全く分からなくなる。
行先は自分で決めていいし、もちろん正解、不正解はない。
ただ自分に必要な経験が待っているだけ。
だからやみくもに情報をなんでもとりいれる必要もないし、いちいち誰かに許可を取る必要もない。
今までの一般の教育があまりにも「自分で決める」ことを教えないものだったので、そんなこと考えたこともない・・という子どもも多い。
だから「だれか」の言うとおりにすることがお利口で、しない子は「悪い子」・・や「できない子」・・という扱いになる。
実は初めから子どもたちは自分の操縦席にちゃんと座っている。
それを横から
「それは間違っている」
「そっちじゃない、こっち!」
「あ~ほらほらまた失敗・・。」
なんて調子で口出ししているうちに、こどもは自分の運転に自信を無くし、ナビの言うとおりにしか運転しなくなる。
それらの横やりに負けずに自分で好きに運転をし続ける子は、あちこちぶつかりながらも、自分なりの操縦方法を見つける。
そして自分で行き先を決め、自由にドライブを楽しむ。
本当はそのように子供たちを導くことが大人たちの責任でもある。
立派なレールや車に乗せることでなく、どんな道でも「運転」できる「強さ」やタフさ、失敗から学び走り続けることの素晴らしさ、ひとを思いやることの尊さ・・などを折々に励ましながら教えることが本来の「教育」の在り方だ。
そして自分の操縦席は誰かに任せてはいけない、自分で責任を持って運転するのだ・・ということも言い続けることだ。