強い「光」には 同時に濃い「影」がある
光が大きくなると闇も深くなる・・。
忘れていたこと。
「これは人の心のなかでも同じ」
と言われている方がいて、はっとした。
うっかりしていると、光ばかりにフォーカスして 闇をなかったものとしたり、無視したりするけれど、ちゃんと闇は存在する。
そして 闇は
「ここにちゃんといるよ~」
と、時々ものすごくアピールする。
そのたびに 「ぎょっ」とするけれど、よく考えれば当たり前なのだ。
それも含めまるごと「自分」なのだ。
そもそもあって当たり前・・いいも悪いもない。
「バランスがいい」
とは 「光」も認めながら、同時に「闇」も認めて二つひっくるめて受け入れる・・ということ。
「闇」を排除したり、ジャッジしたり、スルーしたり、恐れたりしないこと。
「闇」を認めることで、逆にすんなり流れていく。
(決してなくなったりしない。)
無視するから、そこに留まって過剰にアピールするのだ。
よく「短所を克服して、長所を伸ばす」
・・と言われるけれど、これもよく考えるとおかしい。
短所と長所は裏表・・ということがほとんどなのだから、短所を克服したら長所も無くなってしまう。
どちらもあって当たり前・・と言う前提で、ことさらにいい悪いと決めなくていいと思う。
たぶんその時々で、出現する側面がただ違う・・というだけなのだ。
「天才」はものすごい才能を持つが、同時に大きく欠けた部分もある・・というのは当たり前なのだ。
それでバランスがとれるのだから。
ともすれば人間は、「光」ばかりを追い求め「闇」の存在を無くそうとするけれど、そうではなくて 厳然として存在するのだから、「ある」と認めるところから、新たな
「視点」が生まれると思う。
「光」ばかりのひとも 「闇」ばかりのひともいない。
強弱はあっても 必ず一人の人の中に「光」と「闇」はある。
「うらやましい」と誰かを思うことが 誰でもあるだろう。
けれど、その「うらやましい」光の部分と同じだけの「闇」の部分も、引き受けることができるだろうか?
ひとの「光」を見てうらやましいと思うことはあっても、同時に深い「闇」もあると気づく人は少ないように思う。
強い「光」には同時に 濃い「影」がある。
それが自然なバランスなのだ。