「特別」なことは無く・・。
物事の流れの中で 無意識にレベルをつけていることにふと気づいた。
仕事の中でも 家事の中でも 「する」と言う行動には何ら違いはないのに、
これは重要 これはちょっと手抜き これは有意義・・。
特に 「仕事」や「勉強」に関係することは「重要」ランクに、「雑用」関係は
後まわしレベル・・。
一見すると効率的で当たり前のことのように思う。
でも、「それ」を決めているのは誰で 「それ」はホントにそうだろうか?
「刷り込み」だろうか?
分かることは 「本を読む」ことも 「遊ぶ」ことも 「働く」ことも 「テレビを見る」ことも 実は そう変わらないことじゃないかな・・ということ。
「特別」なことは何もなくて ただ「特別」にしている、または思いたい「エゴ」が
いちいちランク付けしてさも「価値」がある、ないとジャッジしているのかな・・と思う。
たぶん そのジャッジがなくなれば 何をしていても、していなくても、「意識」が
ただ「在って」流れているだけなんじゃないかな・・と思う。