ふとした言葉はあなたへのメッセージです。 そのまま受け取ってください。

全部自分であり・・・。

「なぜ そうなるのだろう?」

と言う疑問を持たなくなった。

・・というよりも、浮かんでこない。

 

なぜなら あるとき一つの答えに達したから。

 

みんなつながっていて ただ「そうである」だけで、良いも悪いもなく 正しいも間違っているもない・・とストンと腑に落ちたから。

 

「あるがまま」の状態を何とかして変えようとするから、「苦しみ」が生まれる。

 

「問題」に思うのは、刷り込みや 教育や 集団意識や 信念 観念 主観 習慣 思い込み・・などがあるから。

「問題」にしなければ、そこには「あるがまま」の状態がただあるだけだ。

 

すでに「そうである」ものを そのまま「そうである」ままに受け入れると、それは消えてまた違うものが浮かび上がるだろう。

 

そして それでいいのだ。

人間は 「感情」や「思考」があるので ジャッジしてあれこれするけれど、それもまたそれでいいのだ。

 

大きな生命体のなかで ぽこぽこ浮かんでは消える光が人間なのかなと思う。

 

どうしたってみんなつながっている。

 

この答えに達したとき、目に見えるもの 見えないもの すべてが自分と何ら変わらないのだ・・と、いわば全部「自分」なのだ・・と分かった。

逆に 「自分」と言う個人も実は「幻想」なのだ・・と思う。

 

とは言え、日常で様々なことがあると 「個人」である自分に入り過ぎて右往左往するときもあるけれど、どこかで「大丈夫」と感じている「意識」がはっきりとある。

 

 

「クリア」に周りの事が見える。

「日常生活」は はた目には 以前と変わらず過ごしているように見えるだろう。

でも 不思議に感覚としては、自分が薄くなっていっているような感じだ。

 

これも一過性のものだろう。

 

たぶん すごいスピードで様々なことやひとが変化して、そしてエネルギーも変化しているのかもしれない。