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魂の視点で見る

通り過ぎて分かること。

それの繰り返しなんだなと思う。

 

 何度も生まれ変わって 様々な違う経験をした魂は その分かることが多いのだと思う。

だから 違いはそこだけで いずれ 通り過ぎればわかるのだ。

 

何度も同じ道を通る経験をする魂もいるだろう。

 

でも それだって間違いではない。

それこそ個性なのだと思う。

 

この世的には 「悪」とされていることも 「魂」がその経験を必要として選んでいることも多々あるだろう。

そこを通り過ぎることで 「わかること」があるのだ。

 

「悪」のみちもきっと 忘れているだけで 「自分」もとおってきた道なのだから。

 

だから ほんとうは 人も自分も責めることに意味はない。

 

「罪」を犯したら この世では「法律」で裁かれる。

うまく逃げおおせたとしても その代償はとてつもなく大きい。

「償い」の機会を失うことによって 高次の自分(ハイヤーセルフ)と繋がることが難しくなり その人生は 大きな不安と恐怖に支配されるだろう。

 

そして その「道」からわかることが その魂にあるのだろう。

 

「この世的」なものの見方と「魂」からの視点では 同じ物事であっても

全然違う意味を持つ事が多い。

 

「魂」からの視点は 善悪はなく ただ「愛」があるだけなのだ。

この世での様々な経験は ただ 「愛」に気づくために繰り広げられているのだと思う。

 

その証拠に どの経験も最後に行きつく先は「愛」になっているからだ。

 

たとえそれが 「憎しみ」や「憎悪」であっても それらは「愛」の裏返しなのだ。

 

「魂」には「間違った経験」などないのだ。

ただ 「原因」と「結果」の法則は一ミリも狂わずあるので 自分がしたことは 自分に帰ってくる。

 

そのことを しっかりと小さいうちに 教えることは必要じゃないかなと大きなお世話ながら思ってしまう。(笑)これは この世的な視点から。