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本当の意味で「今」にいるということ。

昨日、ふとわかった。

 

本当の意味で「今」にいるということが。

 

「今」にいるということは、「今」していることに集中すること・・だと単純に思っていた。

それも含まれているけれど、もっと深い意味ではただそのとき起きていることを、そのまま起させる・・・。

思考で判断したり、過去の経験から反応したり、おそれから違う解釈をしたり、余計なことをしないで、そのとき起きていることに自分はどう感じているのか観察することなのだ。

無意識にいつもの反応を繰り返すのではなく、意識的に自分が何を感じているのか観察することなのだ。

そして、感じたことをジャッジせずそのまま認識することで、より「自分」がわかるのだ。

 

いつも同じところやひとに激しく反応するのは、外に原因があるのではなく、自分の中に(過去か、思い込みか、トラウマ、善悪の観念、いろいろ・・)なにかしら拒絶していたり、未消化なものがあるのだ。

 

だから、ひとを変えようとしたり、環境を変えてもあまり意味はないのだ。

 

多くの人はアクセルを踏みながらブレーキをかけている状態に似ている。

自分を受け入れたいと思いながら、ある時は激しく拒絶もするのだから・・・。

 

それでは進むものも進まないだろう。

古い観念や常識は、常に「自己反省」・・という名の「自己否定」を強いてきたように思う。

 

でも、今はどんな自分をも正面から見据え、まるごと受け入れて、

「じゃあどうする?どうやって進む?」

でいいのだ。

 

人間の体で例えると分かりやすいだろう。

丸ごと自分なのだ。

それなのに、「どうしてもこの右腕だけは好きになれない。他の人にも役立たずなんて言われた。もうこんな右腕なんていらない!」

・・・そして、右腕は大事にされなくなり、使われなくなり、機能しなくなるだろう。

 

私たちはパーツではなく、ホールなのだ。

どの部分も間違いなく自分なのだ。

うまく働かない部分もあるだろう。

それならうまく働く部分が助けてあげればいいし、事実私たちの体は自然にそれをしてくれる。

 

助けてくれる部分が、「あの部分のせいで損したわ!」なんて決して文句も言わずに(笑)

 

なので、自分の欠点や得意でない部分も、必ずよくできる部分がカバーしてくれる。

だから、できないところは十分にいたわってあげてください。

そうすることで、少しずつ上手になり機能するようになるのだから。

 

 

・・・このことって、あらゆることに(たとえば人間関係とか教育とか・・。)いえることじゃないかなと思う。