振出しに戻る・・。
なんだか最近不思議なことに、結局「なんでもいいんだ~」とよく思う。
世の中には「~するべき」 「こうあるべき~」 「~しなければ~になる。」
な~んてのがたくさんあって、ちょっと前までは「それはよくない」とジャッジしていたけれど、今は「それもありなのだ。」と思う。
ただそれは、「それを必要とする人に有効である・・。」だけで、ただの経験の一つなのだ。
自分もそれを通ってきたのだ。
そして、様々な制約を経験して結局振出しに戻ってきた気分だ。
でも、同じ振出しではなくて、様々な経験をしてループのはじめにまたたどり着いた・・・感じだ。
経験を通して、重い荷物をどんどん軽くして(思考、観念、信念という荷物)身軽になっていく。
そして、また新たな経験のループが始まるのだろう。
もう周りの人たちを「変えたい」とも「助けたい」・・とも思わない。
一見すると、大変な状況だったり、つらく苦しい状態であったとしても、全然間違っていないのだ。
その人にとって大事な経験なのだ。
(もちろん、人間として親切にしたり手助けをすることとは別次元のこと。)
そもそも「まちがい」や「失敗」なんて無いのだ。
(これは高く大きな視点から見ることができて、はじめて腑に落ちることだ。)
どう見ても「悪」と思われることも、経験することが許されている・・のだ。
それを経験するために人間に生まれる魂もいるだろう。
短絡的に「悪」を容認しているのではなく、ただ「愛」の大きさ器の巨大さに驚嘆するのだ。
「愛」はすべてを含んでいる。
ほんとうにすべてなのだ。
そして、私たちはその「愛」でできている。
「愛」そのものなのだ。
みんなつながっている。
残酷なひとも醜い人も美しい人も優しい人も、みなあなたの一部なのだ。
この壮大な物語のおちは、結局世界には「じぶん」しかいないと気づくこと・・だ。
いや、その「じぶん」だと思っている存在もやがて「愛」のなかに吸収されるのだろう。
なので、どんなことも楽しんで(一見楽しくなさそうなことでもシリアスにならずに!)経験するのみ・・だ。
肩の力を抜いて、ふらふら生きるもよし、必死でベストな選択を考えるもよし、悩み苦しむもよし、信念を貫くもよし、優柔不断よし、愚だ愚だ愚痴三昧よし、頑固ちゃんでも、なんでもいいのだ。
それらすべてが「愛」なのだから。