「教え」からの離脱
たくさんの本を読み、考え、学び、いろんな人の話を聞き、様々なやり方を試してみた。
やみくもにやるわけではなく、自分が深く納得したもの、その時々の自分に合うものを選んでいた。
そして、トンネルを抜けた。
分かったことは、何でもいいのだ・・どの方法でも、やっても、やらなくても、解らなくても、解っても、どっちでもいいのだ・・・ということ。
正解はなく、正義もない。
悟らなくてもいいし、悟ってもいい。
いい人でなくてもいいし、賢くなくてもいい。
意地悪でもいいし、暗くてもいい。
要は、どんな状態であったとしても、私たちはつながっているし、そう変わらないのだ。
みんな一生懸命自分のお芝居に没頭しているだけ。
ものすごい自由の中にいる。
すべてが許されている。
苦しむ自由もあるのだ・・・と気づいたとき、その愛の深さに感動した。
「私たちは完全だ」・・・の意味がやっと、腑に落ちた。
そう、みんなすでに完全なのだ。
ただ、それに気づくことが目覚める・・ということなのかもしれない。