自分を制限するもの
自分の中に自分を制限するものは数多く存在する。
家族、子供、仕事、母親、妻としての役割、経済状況などなど・・。
けれど、本当は分かっている。
全部言い訳・・だ。
私のチャレンジを回避する言い訳だ。
エゴは上手に私を誘導尋問し、無謀(・・とエゴは考える)なチャレンジに待ったをかける。
随分長い間、素直にエゴの言うことを選択してきたけれど、最近は魂の望む方向へとシフトしている。
すると、新しい自分を発見する。
以前の自分は小さくなりつつある。
もちろん、以前の自分も私だ。けれど、どこか自信のない私であって私でない、誰かが作り出したイメージの自分を演じていたようだ。
現在進行形の私は、より自分自身を生きるようになってきた。
けれど、まだまだ制限は存在する。
思考の制限だ。
自分に楽しさや、お金のかかること、自分自身のための投資を与えることに制限がある。
与えていいのだ、自分には十分価値があるのだ、それが自分を大切にすることなのだ・・と許可するのは、他ではない自分なのだ。
自分に許可を与えること・・・そこから世界は広がっていく。
失敗することも許可する・・同じく成功することも許可する。
ダメダメな自分になることも許可する・・誇らしい自分になることも許可する。
あらゆる経験をすることを自分に許可する。
そんなふうに自分に許可していたら、生きることがとても愛おしく感じられる。
制限は人をちぢこませるけれど、許可は人を大きくさせるのかもしれない。