表現すること
表現・・子供のころから表現することが苦手でした。
無口な子供でしたし、自分に自信もなかったからです。でも、無口ゆえに自分の内側の世界は豊かでした。
子供ながらに、心の豊かさ、自由さは誰にも奪われることがないと知っていました。
その世界では表現することは楽しく、空想も想像も得意でした。
読書感想文も、みんなが書く一般的な本ではなく、自分で選んで書いていました。
題名にただ惹かれて読んだ「ライ麦畑でつかまえて」(サリンジャー著)で感想文を書いたのは、たしか中学生か小学校高学年ぐらいだったと思います。
小学生の時、夜寝ていて真っ暗な中、ふと「死んだらどうなるのかな・・」と疑問に思ったそのとき、「あっ!体は死んでなくなるけれど、今、こうして考えている私はなくならないんだ!意識はずっとあるんだ!」
と気づいて、ものすごく安心し、納得したのを覚えています。
飼っている犬とは、なんとなく会話らしきものができました。
母に内緒でこっそりと何かをしているときに限って、ジッと見ているので、
「内緒ね!」と何度口止めをしたかわかりません。(笑)
私には、彼がすべてわかっていると感じていたからです。
のちに、大人になってリーディングをしてもらったとき、
「あなたは動物の世界からものすごく好かれている。前世では人と話すより、馬と話すほうが好きだった。」
と言われ、驚くと同時に妙に納得しました。
今でも、人と話すよりは花や木に話しかけるほうが好きです。
(もちろん、心の中で・・笑)
それから、人の思いもうっすら読むことも自然にできました。
笑っているけど全然違うことを思っているのね・・なんていうことは子供ながら、ものすごく冷静に見ていました。
だから、よく人が言う「あの人がこんなことをするなんて・・!」というセリフはいつも、私には「?」でした。
そういうこともする可能性のある人・・と感じていたからだと思います。
私にはなんのびっくり要素もなかったのです。
こんな感じでしたから、客観的に見ても子供らしくない・・何を考えているのかわからないおとなしい子、手のかからない子でした。
できるだけ目立たないように、後ろへ、後ろへといっていました。
・・で、もう生きているのが半世紀になろうかという今、私の中にたまりにたまった、表現するべき様々なものがあふれてこぼれてきたのです。
なので、なんだかわからないまま、あふれてくるものを表現していくことにしました。
私には自然なスピリチュアルなことも、もしかしたら読んで下さる方には新鮮かもしれません。
この世界に二人といない自分を十分愛し、表現できることに感謝です。