ふとした言葉はあなたへのメッセージです。 そのまま受け取ってください。

惹かれてきたものは・・。

物事の多様さや、ひとの心の多様さ、世界の文化の多様さ、見えない世界の多様さ・・・など、「さまざまなことが入り混じっている」・・「多様」であることに

ずっと興味があり、惹かれてきた。

 

 

小さなころは、いつもの自分の日常や常識を超えて、垣間見える世界に触れると心が広がって嬉しかった。

 

初めは海外の異文化に、次は人の心に、そして宇宙に、そして見えない世界に、枠はどんどん広がっていく。

 

そのたびに、見る視点が上へ上へと高くなり俯瞰で見るようになった。

 

俯瞰で見えるようになると、不思議に「許せないこと」や「嫌なこと」がなくなっていた。

 

違う感覚や「違う」ことが当たり前になるのかもしれない。

 

「正しさ」も「間違い」も「正義」も「正論」も「常識」も「罪」さえもない世界だ。

 

この世界は人間の「思考」が作る世界。

 

であるならば、そのような「思考」に至るとそのような世界が現れるのだ。

 

今一度、何を自分は強く信じいつも「思考」しているのかを観察することはとても興味深いことだ。

 

それは表面意識でなく、深層意識のほうを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お金」の存在が消えた世界

「お金」と言う貨幣が存在しない世界が現れてくるかもしれない。

 

若者の間では「シェア」と言う概念がもうすでに当たり前だし、「お金」に価値を置くのはもう古い概念なのかもしれない。

 

不安からひとりでため込むよりも、自分のできることをしてたくさんの人とシェアし合えば、「生活」は成り立つ。

 

考えれば「生きて」行くために必要なものなんてそう多くない。

過剰なまでの「消費社会」はもう幕を閉じつつあるのかもしれない。

 

その代り多くの「つながり」が生まれる心の「豊かさ」に目覚める社会が現れる。

今はその狭間のような気がする。

 

もうすでに新しい「生き方」で生活をしている人たちも存在し、いまだ「お金」に膨大な「価値」を置いて古い概念のなかで生きる人たちも存在する。

 

 

大きな変化の時代なのだな・・と感じる。

 

どちらも間違いではない。

選択するのは自分なのだから。

 

できることは十分シェアし、必要以上のものは持たず、身軽に楽しく生きよう。

 

 

 

 

 

「どれだけ愛しましたか?」

亡くなった母の誕生日・・だなぁ・・と思って料理の手を止めて、顔を上げると

プチッとステレオから流れていた音楽が消えた。

 

「ああ来てくれてるんだ!」

と感じた。

 

さすがお母さん、ちゃんと知らせることができたね。

そこからは涙が止まらなかった。

 

誰も知らないことをちゃんと、「わかってるよ」「よくやってるね」と褒められたようでものすごく嬉しかった。

 

泣きながら感じたのは、きっと最後に満足してこの世を去れるのは

「どれだけ愛されたか?」ではなく、

「どれだけ愛したか?」なのだ・・ということ。

 

そして、あの世に帰って質問されるのも、

「どれだけ愛しましたか?」

ということ。

 

自分自身をも含めて深く広く「愛」を広げよう。

 

お母さん大切なことを教えてくれてありがとう。

 

 

「三次元ゲーム」

この三次元で、どれだけ意識を広げることができるだろうか・・・?

というのが、今現在の「課題」であり、ゲームである。

 

苦手な人や嫌いな人・・と言うのはもはやほとんど存在しない。

理解不能・・というのもほとんどない。

 

もちろん「エゴ」はかなりあれこれ感情的に反応することはある。

でも、もう少し奥深くにある気持ちは全然そうじゃないことがほとんどだ。

 

頭はヒートアップして真っ赤になっているのに、ハートは静かで

「いいんじゃない~」

なんて、いたってクール。

 

ハートは常識や世間体なんてない。

「宇宙の叡智」に繋がっているから、そんな些末なことはお構いなし。

 

「愛」だけがそこに存在する。

 

ものすごくシンプルだ。

 

その「意識」・・(愛)をどこまででも大きく広げていこう。

 

 

 

 

 

世界が変わる時

自分で作った自分の牢獄から出る。

 

またはこの「苦しさ」は自分が作った「牢獄」の中で起こっていること・・に気づく。

そうすると、世界はがらりと変化する。

 

どこへ行っても何をしても、ずっと自分の頭の中の牢獄に居続けていると、それはただ体を移動させただけだ。

 

何も変わらない・・のはそういうことだ。

 

考えを変える・・とか、とらえ方を変える・・とか、難しく考えないで、ただ自分の

フィルターをはずして、物事やひとをただ「感じる」だけで驚くような「発見」がある。

 

「自分」の思い込み、ジャッジ、刷り込み、など出てくるもの全部「感じる」。

 

ただそれだけだ。

 

それらはただ流れていく。

そしてあとは、ただ自分の「好き」「心地よい」を選ぶだけ。

 

そうすると自分の「スタイル」が見えてくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

空模様と直感

空の写真を撮るのが好きだ。

そして、「あっ好き!きれい!」

と思ったら、すぐさまスマホで撮る。

 

空は待ってくれないから。

構図も何も考えず、ただ撮る。

 

次の瞬間に雲は動き、空の色さえも変化するから。

だからこそ魅力的で飽きない。

 

ものすごく繊細な風景画のような空や、面白い雲や、時にこれは何かの啓示や

メッセージ?と思わせるものまであり、毎日毎日飽きずに空を見上げている。

 

たぶんこれは、「自然」を愛するひとはどの分野でも同じだと思う。

 

「自然」の完璧さと美しさとその驚くような変化に魅せられているのだ。

 

ある人は花に、ある人は蝶に、ある人は鳥に、ある人は海に・・と言う具合に。

「人間」も自然の一部なのだから、「完璧」で「美しく」、「変化」ももちろんする。

 

ただ、「人間」は自身の完璧さと美しさを知っている人は少ないように思う。

 

ただ「自分」でありさえすればいいだけなのに、あちこちよそ見ばかりしている。

 

精一杯「じぶん」を生きればいいだけなのだ。

 

好きなものを追いかけて探求し、心地よいものを選び、常に自分と対話する。

 

他の人や周りが何と言おうとも、「じぶん」の中にある「自分の地図」で歩く。

 

たどり着くところは同じでも、「行き方(生き方)」の地図は違うから。

時には同じ道をともに行くことがあっても、全部同じではない。

 

遠回りでも険しくてもそれを選択しているひとはいる。

それぞれの「地図」を尊重しよう。

 

協力できることはしよう。

できないことは手放そう。

 

「自然」に生きる・・と言うコトバは実に奥が深い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スプーン曲げからの目からうろこ

先日「目からうろこ」の体験をした。

 

何が「目からうろこ」になるかは、人それぞれだと思う。

私の場合は、「スプーン曲げ」でそれは起こった。

 

先日スピリチュアルカウンセラーのEmikoさんの「大阪お話会」に参加させていただいた。

 

目的は、スプーン曲げ(怪しいものじゃないですよ 笑)をすることによって、じぶんの持っている先入観や思い込みに気づく・・というものだ。(お話会の内容はもちろんスプーン曲げだけでなく、日常生活に根付いたスピリチュアルのものから浄化やヒーリングまで盛りだくさんでした!)

左脳ではなく、右脳を使う・・というもの。

 

でも私は逆で、普段から私たちは瞬間移動もテレパシーも、もちろんスプーン曲げだってできるはず!と根拠はないけれど自然に思っていた。(もちろん今も)

でも、実際はスプーンは曲がらないし「おかしいなぁ」なんて首をかしげていた。

 

 

そこでEmikoさんの一言に、「はっ」と気づいた。

目からうろこ・・。

 

「ここは三次元なので、ちゃんと力を入れて曲げてください。」

 

「!!!」

そう、ここは重力も時間もあり、想像すれば物事が瞬時に実現する世界でなく、三次元!なのだ。何かを達成しようと思ったらきちんと行動(アクション)を起こさなくては現実にはならないのだ!

 

(どこの世界の人?と自分に突っ込みを入れたくなる笑)

 

イメージではぐにゃりと曲がったスプーンを映像で見ていたので、あとは力を入れて曲げると簡単に曲がった。

 

ここで、ものすごく腑に落ちた。

なぜいままで「できる」と思っていたことが、「現実」になったものと、ならなかったものがあったのかを。

 

「現実」になったものはちゃんとアクションを起こして、行動に移したから。

時間がかかっても、不安でも怖くてもとにかく「できる」を信じて動き続けた結果、

「実現」したのだ。

 

対して「現実」にならなかったものは、「できる」という確信がありながら、勇気が無かったり不安だったりして、具体的な行動を何一つ起こさなかった。

結果、そりゃ「実現」はしない。

 

 

分かってしまえば、とても当たり前のことだ。

でも、何事も原因はこんな「あたりまえ」のことに気づかないことが多いのでは・・と感じる。

 

「行動」が大事・・と言われる所以がものすごく分かった。

もちろん、だれにでもあてはまるわけでない。

 

「行動」はできるけれど、「イメージ」ができていなかったり、行動しながら「ネガティブ」に傾いてそちらが「実現」する場合もある。

 

でも、この三次元という地球の歩き方をレクチャーしてもらってコツがつかめた。

 

そして「実現」したいことを「現実化」していくことが楽しみになった。

 

「からだ」がある意味も納得。

 

すべては「体験」だ。

でも、それは自分で創造するのだ。

 

もちろん助けてもらうことも必要だし、一人でできることなんて本当はない。

(見えない世界からの助けやフォローも含めると、ものすごい数だろう。笑)

 

 

様々な縁に感謝して、新たに歩き出そう。