ふとした言葉はあなたへのメッセージです。 そのまま受け取ってください。

伸び縮みする自己

最近「自己観察」・・をしていておもしろいな~と思うのは・・

「できごと」や 「もの」、「言葉」、「ひと」に合わせて 「自己価値」が伸び縮みしている・・ということ。

 

単純なところでいうと、「褒められれば」アップし「ダメだし」されれば、いとも簡単に しゅるしゅると縮む。

 

その「感じ」は、面白いを通り越してほとんど 「ひとりコント」だ。

 

俯瞰で観察している方の意識は それを大いに楽しんでいる・・。

「飽きるまで どうぞ」と。

 

 

本当は 伸びたり縮んだりする「自己価値」なんてない。

それは、自分で作り出した「ゲーム」のひとつ。

 

次々に現れる現象と自分を同一視して 一喜一憂する。

 

「気づいて」いる意識は それをも優しく大きく包み込むように受容する。

 

「安心」して 「好きなように」生きていいよ 

「なんだっていいよ」

「決まりはない」のだから

 

「自由」ってこういうことなんだ・・と思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

無知の知

まだまだ知らないことばかりだなぁ・・とよく感じる。

 

この世界は 広く深く 学ぼうと思えば いくらでも様々なことを提供してくれる。

 

最近は インターネットが普及しているので さらに世界中とつながれる。

少し興味を持って 検索するとざくざくと関連事項が連なっている。

 

ただ単純に 「学ぶ」ことは 面白い。(学校の勉強ではありません笑)

ひたすら興味に従って 深く深く奥へ奥へと道をたどっていく。

そこに広がるのは 「終点」ではなく また更なる未知の世界へのスタートなのだ。

 

ところどころにちゃんとお楽しみがあって サプライズなんかもあったりする。

 

途中休憩もありつつ でも再び「学び」はじめる。

 

きっと生涯かけても 学べるのは氷山の一角もないかもしれない。

それでも 「知らない」ことを「学ぶ」のは 楽しい。

「知っている」ことは ほんのちょっぴりなのだ。

 

「好奇心」と「興味」に従って 終わりのない旅を続けよう。

豊かな泉

「豊かさ」は 外側にはない。

 

いや、目に見える形の「豊かさ」は、たくさんたくさん ある。

ただそれらは、ひと時の満足は与えてくれる。

でも、それらに満足すると また違う「豊かさ」を探す。

 

分かりやすい「豊かさ」は、実は目新しいおもちゃと そう変わらない。

すぐ「飽きて」しまうのだ。

 

一生懸命努力して 手に入れたものも 同じだ。

なぜなら それらは 移りゆくものだから。

自分の手の中にある時は 十分それを楽しむことだ。

 

そして 色褪せたり失ったりしても 嘆いたり 落胆しないことだ。

それらは永遠の「豊かさ」ではない。

 

消えない「豊かさ」は すでにもうあなたの内側にある。

 

あなたが気付くまいが 気づこうが関係なく ある。

 

その「豊かさ」に比べると 地球上の「豊かさ」は ほんとうに「おもちゃ」だ。

 

「おもちゃ」も実に楽しいものだけれど、十分遊んで気が済んだなら 

自分の中を探検して 素晴らしい「豊かな」泉を掘り当ててほしい。

 

その時あなたはきっと もうこの世で「所有」することを楽しんでも、それらに

執着したり 振り回されたりすることはないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

手を挙げて逃げ出す!

「もう参りました~」

って 手を挙げて降参して 逃げる・・・。

 

・・ことで 解決することもある。

 

特に ひとのこと。

(自分の問題からはどうやっても 逃げられませんが、参りました~って降参することで ポンッと違う道が現れることがある。)

 

 

でも 人の領域に、いつまでもかかわるのは 「執着」なのだ・・と実感した。

 

特に身近な人の事は、「執着」しやすい。

そして、「執着」は苦しみを生む。

 

まったく生産的でない!(笑)

 

気がつけば 「よくこんなこと大真面目に言ったり、やったりしていたなぁ~」

なんて、ひとりコントみたいだけど・・・。

 

もう 気のすむまで言ったりやったりしたら、なぜかつきものが落ちたように

「もういいや。 降参!逃げる~!」

と、急に執着していたものに さよならした。

 

 

そして 「執着」にくっついていたものは・・

「期待」や「コントロール」、「無力感」、「自己嫌悪」、「後悔」、「自己弁護」

「言い訳」・・・・。

 

そりゃ重いよね~(笑)

そのエネルギー、無駄だし誰のためにもなってない・・・よね。

 

何かに執着しているときって、ホントに向き合わなくてはならないことから目をそらしていることが多い。

 

「自分に集中!」

紙に書いて、貼っておこうかな・・・(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あなたはその人の過去も未来も知らないのです。」

「ほかの人の決断や選択を 批判しないようにしてください。

あなたはその人の過去も未来も知らないのです。彼らの現在の状況だけを見ても、

真実はわかりません。」…「地球の魂 ガイアの教え」より。

 

ほんとにそうだな・・と 深く心に残ったことば。

一場面だけを切り取った、その出来事だけでは ほんとうには何もわからないのだ。

 

一見するとネガティブな行動も それをすることで バランスを取っているかもしれないのだ。

無意識に話している言葉のなかに 他の人を批判していることってよくある。

 

その人のいったい何を知っているというのだろう?

ひとりの人の魂には 膨大な歴史があり経験がある。

見えている部分なんて ほんのちょっぴりなのだ。

 

逆に 人に何か言われたとしても 全く気にする必要はない。

あなたの魂の歴史を知っているのは あなただけなのだから。

 

叡智あるマスターたちは 必ず何かアドバイスをするときは

「あなたの理性が受け入れるものを受け取ってください。そうでないものは捨ててください。」

と言う。

なぜなら 支配やコントロールでなく 「愛」から発せられているものであり また根源は同じで 気づきのレベルがただ違うだけという「本当の平等」という立場から話される言葉だからだ。

 

「尊重」するってこういうことなのだな・・と思う。

 

 

 

 

 

 

 

「若者たちは世界を破壊するために生まれてきました。」

「若者たちは 世界を破壊するために 生まれてきました。」

・・「ガイアの教え」という本の中で ガイアが質問に答えていた中の 一つのことばだ。

 

それを読んだとき いろんなことが腑に落ちた。

現在の世界は 再構築の時期だそうだ。

従来のシステムは もう機能しなくなってきている。

それはもう皆日々感じるところだろう。

 

経済も教育も 「創造性」からかけ離れた「支配」や「コントロール」を目的としていた。

 

 

自分が子供のころは 集団で何かをすることに さしたる疑問を持つこともなく ただ指示されるまま動いていた。

 

けれど 息子が生まれて 彼が集団から外れることが多くなったとき 疑問がわいた。

「集団」でする意味ってなんだろう?

「集団行動」ができないって そんなに悪いこと?

お手本の絵を みんな真似する授業って何?

 

学校の教育は ことごとく「創造性」から遠い。

誰のための教育なのだろう?

 

「彼」の行動から 疑問が生まれ 全く違う視点を持つきっかけになった。

 

私たちが 固く固く信じている「働く」ことや「仕事」は 必要で 素晴らしいことだ・・というのも実は 信じ込まされていることだ・・とガイアは言う。

 

このことも 以前から彼は 

「日本人は働き過ぎ。夏休みがないなんて!」

とぶつぶつ言っていた。

それを聞いた私は この社会に適応していけるのかしら・・?となかばあきれていた。

 

でも 「彼」はもともと この社会システムに「適応」するために生まれてきたのではない・・と分かった。

「適応」させようとすることは 「彼」の個性や「創造性」を無くせと言っているのと同じなのだ。

 

たぶん 「彼」は 正直に自分を表現しながら (親が思っている以上に タフな魂らしい笑)あちこち痛い思いをして 純粋に生きていくのだろうと思う。

これまでも 彼によってコチコチの学校システムを 少し緩めて新しい試みをするに至ったことが幾度かあったのだ。

 

「長いものに巻かれる」・・なんてことは「彼」は 考えたこともないだろう。

 

「若者」の言うことを真摯に受け止めよう。

彼らは 想像を超える「創造性」で 新しい世界を創っていくだろう。

 

従来のシステムにどっぷりの人たちには とても受け入れることが難しいだろう。

 

でも 女性や若者がこれからは 「新しい世界」を創っていくのかなと思う。

 

その前に大きく「破壊」する必要があるものがたくさんあると思うし もうそれが始まっているのかなと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

自然な流れ

毎日のささやかな楽しみは ベランダに出て遠くの海を眺めたり 街中を見たり 目の前の森の木々たちに あいさつしたり 好きなだけ空を見あげられることだ。

 

時々 すごく不思議な気持ちになる。

きれいに舗装された道路を走る車 それぞれの生活を営む家々 たくさんの鳥の鳴き声 木々 山々 人々 何事もなく過ぎる日常・・。

 

この「素晴らしさ」を 維持するのにたくさんの人が働いていくれている。

 

日常の「あたりまえ」は 実はたくさんの見えないエネルギーでできている。

 

そのことを ベランダに出て 外を眺めるたびに感じる。

そして これもまた過ぎ去って変化していく風景の一つなのだ・・と思う。

 

今日 目にした素晴らしさに 感謝して 「同じ」ことを期待しないでいよう。

それは 「執着」に繋がっていくから。

 

そして それは 「儚さ」ではなく 実は「自然な流れ」で とても ダイナミックなことなのだと思う。